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      <title>東海大学 旭川キャンパス 神崎 実 のホームページ</title>
      <link>http://kanzaki-m.net/blog/</link>
      <description>このホームページは、東海大学 旭川キャンパス 芸術工学部くらしデザイン学科准教授の神崎実のホームページです。ブログ形式なので、多くの方からの“声”と共に、
神崎実の大学や、アーティストとしての活動を紹介して参ります♪</description>
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      <copyright>Copyright 2012</copyright>
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         <title>若林正俊議員の問題と菅原功一前旭川市長の問題</title>
         <description>若林正俊元農水相が、青木議員の投票ボタンを押して議員辞職に追い込まれた。
内容は民主主義の根幹を揺るがすようなことなのだが、国民は大して怒ってなさそうなのである。

また、民主党の山岡賢治国対委員長も「学生時代の代返は聞いたことがあるが、・・・・・。」とコメントした。
学生の代返と比べること自体、この国の置かれている状況に対しての危機感の無さを感じる。

この2人は東京大学と慶応大学で何を学んでいたのだろうか？
それと同時に、多くの国民が民主主義に対して鈍感になっているのかと疑いたくもなる。

それに対して、前回に書き込んだ菅原功一前市長の問題を列記してみる。

・沖縄旅行の旅費援助問題
・市内常盤公園千鳥が池浄化事業問題
・アイエスティーサービス指名業者登録の適正有無の問題
・上宮寺敷地内の高齢者向け優良賃貸住宅計画の口利き問題
・９条７丁目・高齢者向け優良賃貸事業の優遇問題
・庁舎移転におけるサンライズビル問題
・神楽拡幅工事の移転補償問題

その他、エコスポーツパーク問題や選挙違反問題もあった。
それらに関して行政関係者と後援会関係者のお2人が亡くなられたことを考えると、リコールを成立させることができなかったことは、今でも遺憾に感じている。

今回、若林議員は国民に直接不利益を与えた訳でないが議員を辞職し、菅原功一前市長は市民に直接不利益を与えていながら、辞職をしなかった。

２つの問題を考えた時、納税者である住人に不信感を抱かせたのは明らかに後者のように感じる。
特に自主的に辞職をしなかったことに対しては、理解をされ難いだろう。
ただ、自主的に辞職をしたから許される問題でもない。

納税者に対しての人気取りばかり考えて行動しているようでは、この国の未来は暗くなるような気がしてならない。
その意味でも、菅原前市長の旭山動物園と科学館（サイパル）に予算をつけたことは高く評価できる。

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         <pubDate>Fri, 02 Apr 2010 21:30:09 +0900</pubDate>
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         <title>この国のデフレは終わった！　ダイソーとニッサンから感じたこと</title>
         <description>私は経済学者でもなければ経営者でもないので、あまり真剣に読まないで頂ければ幸いである。

私の専門分野は彫刻（造形物制作）と華道（和の心）なので、その観点からデフレが終わったことを説明したい。
100均が全国的に増えだしたのが平成元年頃からで、ダイソーが旭川にも増えてきたのが平成１０年頃からだったと記憶している。

ダイソーが増える前の１００均の多くは、安かろう悪かろうの商品も多かった。
私自身が彫刻を専門としていたこともあり、製品（商品）のクオリティ（品質、完成度）について厳しい見方をしていたため、当時、１００円を払ってまで買いたいと思わなかった。
特にプラスチック製品（バケツ、ゴミ入れ、台所用品等）や電気製品（時計、ライト等）や工具（ペンチ、ヤスリ、ドライバー等）は、ほとんど買うことが無かった。

平成１０年頃よりダイソーが増えはじめて、それまでの１００均のクオリティが明らかに向上したと感じている。
それらの製品の多くはそれまで同様に中国で作られていたものがほとんどだったが、ダイソーが品質管理を徹底したのか、プラスチック製品等からバリが無くなり、工具類の精度も良くなっていた。

それ以降、ダイソーには度々通って製品を観察することも購入することも増えた。
特に、韓国製の製品が増えることによって中国製の製品のクオリティも一段と向上し、私の観察する時間も増えて、長い時だと４～５時間居ることもあった。

その後、平成１７年頃からプラスチック製品に日本製のものが増えてきて、平成２０年頃よりバケツやゴミ入れや台所用品の多くが日本製に替わっている。
ダイソーができる前には、それらの日本製のプラスチック製品が１０００円以上していたことを考えると、ここ１０年で極端なデフレ現象が起こったと考えられる。

そしてここ１年～２年、今までと同じ製品のペンチ等の工具類が２００円～４００円程度となり、電気製品（時計、ライト等）は２００円～６００円程度となった。
今後、日本製の工具類や電気製品が１０００円以下になることは無さそうなので、中国製の工具類や電気製品の更なる値上げが考えられる、と言うことである。

今日はここまでにして、次回、ニッサンのディーラーで目撃したことを書き込みたい。

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         <pubDate>Mon, 05 Apr 2010 22:26:50 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>この国のデフレは終わった！　ダイソー（大創）とニッサン（日産）から感じたこと　２</title>
         <description>前回の続きを書き込みたい。

＞そしてここ１～２年、今までと同じ製品のペンチ等の工具類が200円～400円程度となり、電気製品（時計、ライト等）は２００円～６００円程度となった。
＞今後、日本製の工具類や電気製品が1000円以下になることはなさそうなので、中国製の工具類や電気製品の更なる値上げが考えられる、と言うことである。

上記の内容で、「デフレが終わった！」と勝手に素人が説明した訳だが・・・
３日程前に、旭川にあるニッサン（日産）ディーラーのショールーム前の駐車場で、今までに見たことのない光景に出くわしたのである。

それは、ショールーム出口にスーツ姿の男性と制服姿の女性が１０人弱、そこから駐車場出口の公道までに整備士姿の男性が３人程、整列していたのである。
私はそれを見て、ニッサンの幹部役員でも来旭しているのかと、様子を窺っていた。

すると、彼等の整列した中から、一台の新車らしきワンボックスに家族連れらしき人々が乗っており、見送られている状況だった。
私も旭川に来てから新車を４回購入したことがあるが、１０人以上の社員が仕事を中断してまで見送る状況になったことはなかった。

私の購入した新車がそれ程高級ではなく、客としても大切に扱われてなかったのかも知れないが、今回の状況には少し驚いた。
ここ４～５年程、新車を購入してないので詳細は分からないが、以前より旭川にあるディーラーの顧客に対する対応が良くなっているのかも知れない。

以前、マツダが経営危機になっていた頃に新車を購入して、花束を貰ったことはあったが、その時の状況とも少し違うようである。
後に市内のディーラーの知人に確認したところ、最近は以前程、新車時購入時の割引もしていないらしいとのことだった。

新車の車両本体価格も徐々に上がっている上に、割引も以前のようにしていないことから考えて、顧客に対するサービスを徹底して信頼を勝ち取るとの目論見なのではないかとも思っている。
そのことが、結果としてデフレを終わらせることになるとも考えられる。

また、１００円均ショップの話題に戻すと、今までは不良品も多かったが、現在、１０年程前に比べて不良品も減ったようである。
先日、最近では珍しく不良品の電気製品があったのでレジに持っていくと、早急に取り替えてくれると同時に丁重な謝罪まで受けて、此方が恐縮してしまった次第であった。

まだまだ価格が安くなる食べ物（吉野家の牛丼等）もあるだろうが、上記に書き込んだ製品に関してはデフレ状況が終焉を迎え、インフレ状況に向かうのではないかと思っている。

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         <pubDate>Thu, 08 Apr 2010 21:41:46 +0900</pubDate>
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         <title>北海道の未来と芸術の力　芸術と福祉について</title>
         <description>今回は3月２３日に北海道新聞夕刊の魚眼図に掲載された「芸術の力」の後半部を紹介したい。
筆者は東海大学（札幌校舎）の乾淑子教授である。

　誰の人生にも死にたくなることはいくらもある。その都度何とかやりすごすのが人生だと言うこともできる。そういう人生を描くことで人を「死にたくなくならせる」のは芸術の機能の一つである。それを果たす小檜山氏をはじめとする芸術家は偉大であり、だからこそ芸術文化は必要なのである。
　しかし、偉大な芸術に出会えない事もある。ほんのちょっとしたことで死なずにすごす人と、死んでしまう人の差を何とかするのが、社会のシステム、つまり政治というものではないだろうか。年間３万人の自殺者を数えて十年以上である。

前半の文章では、ＪＲ北海道の車内誌に作家の小檜山博氏の二十年近く前の思い出についてが書かれていた。それは、札幌の路上で靴磨きをしていた女性が、小檜山氏自身の本を読んで、「この人の小説が大好きで・・・読むと死にたくなくなるんです」との内容だった。
それに対して乾教授、その女性は小説「地の音」や「雪嵐」は十回以上読んだといい、それを合計すると彼女は何十回も「死にたくなくなった」はずだ、と書いている。

乾教授の文章を読んで、芸術は小説は勿論のこと社会の至るところに眠っているのではないかと考えさせられた。
そう云えば、劇団イナダ組の稲田博氏が「芸術は街の至るところにころがっている。」と何かに書いてた記憶がよみがえって来た。
演劇やスポーツやデザインや建築は勿論のこと、政治の世界にも芸術が眠っているのかも知れない。

また、私の尊敬する本田宗一郎氏は1940年頃に、
　
現代の卓越した技術者は、技術者と同時に秀でた芸術家でなければならない。科学者の知恵と芸術家の感覚とを併せ持たなければならない。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　と、云っている。

私の立場としては、街の至るところに眠っていたりころがっている芸術があるのだとすると、それらを起こし拾い上げて、多くの人々に開示する使命があるのだと考えている。
特に若者にそれらすべての分野の仕事に、人々を勇気づけ感動させる力があることを根気強く伝えていかなければならないと思っている。

最近読んでいる「芸術と福祉」（藤田治彦）とのタイトルの本に、芸術は全ての人々に与えられたものだとの内容が書かれている。
今後、詳しく内容について書きたい。


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         <pubDate>Tue, 13 Apr 2010 15:35:51 +0900</pubDate>
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         <title>芸術と福祉(工芸）　芸術が旭川を救う　Art and welfare(craft)  The art saves Asahikawa.</title>
         <description>今回は前回の「芸術と福祉」（藤田治彦著）について、書いてみたい。

旭川校舎でも先週より授業がはじまった。
私が担当している立体表現の授業は、今週2回目より４回目まで皆空窯（白金）の南泉先生にお願いしている。
基本的には人体の頭部を彫塑する授業なのだが、今までほとんど粘土に触ったことがない受講生も居た。粘土に慣れてもらうためにも陶芸を中心に芸術活動をなされている泉先生に、「燭台」（キャンドルスタンド）とのテーマでご指導して頂いている。

受講生の多くは２年目の学生で、２２人ほどである。
今回の授業では魅力的な女性の先生ということもあるのか、学生達は何時もの受講態度と少し違い、目を輝かせて話を聞いていた。

泉先生が陶芸も芸術の重要な分野であるということと、「芸術は人のためにある。」との内容の話をなされたこともあり、私としては少し時間を頂戴し、以下のようなことを話させて頂いた。

この国では明治維新前、芸術（藝術）とデザインと工芸が分離した考え方をしていなかったと同時に、分離した考え方でなかった江戸時代の文化がヨーロッパでも高く評価されていた。
一方、ヨーロッパでは産業革命以前からアートとデザインとクラフトが分離しており、革命以降は更にその溝が深くなることを危惧して、バウハウス教育やアート・アンド・クラフト運動が芸術家や工学関係者等によっておこなわれた。

そこで、「芸術と福祉」に書かれている、ウィリアム・モリス（１８３４～９６）と並んで１９世紀の手工芸を支えたデザイナー、クリストファー・ドレッサー（１８３４～１９０４）が「装飾芸術の原則」（１８７３）の中で述べた内容を話した。

　「芸術の知識は個人に対してのみならず広くは国においても意味を持つ。個人にとっては、それは
　財産であり富である。そして国にとって、貧窮の解決策となる。たとえば素材としての粘土を取り上
　げてみよう。一人の手の中でこの粘土は「ひとつ」１８ペンスの価値のある花瓶となる（大きさによっ
　てこの数字は６０ペンスから１２ペンスまでさまざまである）。ほかの人の手にかかればそれは５ポ
　ンド、もしくは５０ポンドの価値のある鉢となり、壺となる。価値を与えるのは芸術なのだ。素材では
　ない。」

要するに、手工芸も当然芸術的な技術であり、工芸（クラフト）と芸術（アート）とを切り離して考えることに問題があるのではないかとの、疑義でありその後定義とされたのだと考えられる。

学生達には自信を持って、芸術作品である「燭台」を制作して欲しい。
また、今回の授業時間が終わった後も遅くまで残って制作していた学生や、自宅に持ち帰って夜遅くまで制作していた学生も居たようなので、作品の質は期待できそうである。

これら完成した作品は、５月６日より２０日（９時から２１時）まで、東海大学芸術工学部（旭川キャンパス）の研究館ギャラリーにて展示されるので、市民の方々も自由にご高覧頂きたい。
また、図書館も平日（９時から１８時まで）は閲覧も貸し出しもしているので、自由に利用して頂きたい。
(芸術､デザイン、建築、工芸関係の和書も洋書も道内の図書館の中では充実している。）

私としてはこれらの作品を制作した若者の感覚が、財政危機に直面している旭川市を救ってくれる重要なカギになると考えている。
因みに今年度の建学祭（学園祭）のテーマはＫＥＹである。


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         <link>http://kanzaki-m.net/blog/2010/04/art_and_welfarecraft_the_art_s.html</link>
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         <pubDate>Sat, 17 Apr 2010 20:33:37 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>雪解け遅い旭川の状況下での、西川将人市長と鳥居幸広理事長</title>
         <description>旭川市は今日も雪混じりの冷たい雨が降っており、桜のつぼみはまだまだ固く、開花するのが例年より２週間ほど遅れそうだ。
それと同様に、冷え切った経済の雪解けがまだまだ遅れるのではないかと心配している。

前回は「芸術と福祉」の中で云われていることが、この国を活性化することに繋がるのではないかと書き込んだ。
特に旭川市が財政危機に直面している状況を打開し活性化するには、芸術家の感性（創造性）を持った若者の行動力が大切だと考えている、と書き込んだ。

今日の北海道新聞で、西川将人市長(旭川）と鳥居幸広理事長（旭川平和通商店街振興組合）の対談が載っていた。
内容は旭川市の中心街活性化についてのことだった。

市長が丸井跡地利用を民間主体で考えて欲しいと述べているのに対して、理事長が跡地は民間に委ねるより市が責任を持って入居して欲しいと述べていた。

司会者が、「市が中心部の活性化に力を入れる背景を、市民は十分理解しているでしょうか？」
それに対して、市長は「マチの顔」であり今まで多額の税金を投入し、整備してきた市民の財産でもあるから、今後も人集めのために力を入れる必要性があると言っている。（何か以前の自民党の箱物行政に似ている気もする）
理事長は郊外型のチェーン店と違い、個店の並ぶ買物公園での売上は市の税収に結びつき、地域経済を元気づける効果もあると言っている。（因みに理事長はマック経営者だが、補助を受けて当然との感もある）

上記の状況を考えると、行政側も買物公園の各商店側も他力本願でこの危機的状況を乗り切ろうと考えているようにも感じる。
また、中心街に住んでない市民がこれ以上の血税を買物公園活性化のために使わないで欲しいと思っていることには、双方共、耳を傾けないようである。

私はこの街を再生し活性化するには、グローバルに通用する人材を教育するのが大切だと考えている。
今の行政や地元商店主や会議所等が考えている場当たり的な対応は、一時的に回復した状況が作れても、今後、こども達の未来の魅力的な街は創れないとも考えている。
その意味でも、若者が創造性と愛（自身を含めて、全てのものに対するおもいやり）を持って行動して欲しいと願っている。

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         <link>http://kanzaki-m.net/blog/2010/04/post_199.html</link>
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         <pubDate>Tue, 20 Apr 2010 20:23:50 +0900</pubDate>
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         <title>半年後の旭川市長選挙で、この街は再生できるのだろうか</title>
         <description>今日の国内の話題は、前原誠司国土交通大臣が高速道路の料金変更で６月から実質値上をすることに対して、小沢一郎民主党幹事長に変更することは考えていない、と発言したことであろう。
前原大臣は私の知人で同年代ということもあり、今回の毅然とした対応には少し喜びを感じている。
また、事業仕分けの第２弾も始まり、蓮舫議員に期待している国民も多いのではないだろうか。

話は旭川市に戻って、この街も３セク等の各種団体に流れている税金が２００億円ほどある。
次の市長選では候補者に是非とも公約に事業仕分けを掲げて欲しいのだが、現実問題として、そのことを断行する候補予定者は居なさそうである。
それどころか、現西川将人市長もほとんど手を付けておらず、２００億円ほどが天下り等の居る団体に流れている状況は４年前とほとんど変わっていないのが現状である。

近年、急激にこの街の市民の平均年収が下がっていることを考えると、早急に事業仕分けをして無駄を省かなくては、手遅れになってしまうこともあると考えている。
しかしながら、行政も議会も地元企業を擁護する必要性を感じているのか、補助金等が各種団体に流れているのを黙認している。

私としては無駄を省いて生じたお金を、子供達の教育と福祉に当てるべきだと考えている。
そのことは４年前の旭川市長選挙の時の公約でもあったので、下記に再度載せるのでご確認いただきたい。
尚、公約の幾つかは旭川市がここ３年で実現したものもあるし、買物公園の無料バス計画等は最近になって行政と会議所が考え始めたものもある。


構想（夢あるまちづくり）
●ドーム競技場や芸術ホール、スケートボードパークの新設
●スポーツのオリンピックレベルの誘致と美術･音楽･演劇の国際的な企画
●旭川空港が東アジアにおいてのハブ空港の役割を持つように増改設
●北都商業高等学校を藝術・デザイン系の高校とし、市立大学を新設
●子供の社会参画の面から、子供の権利に関する条例を制定

政策・公約
●最重要課題
・第３セクター関係の200億円を超える補助金、委託料、債務保証費の凍結
・市長40%､特別職20％､管理職15%､職員10%の給与と退職金を削減
・女性を副市長に任命すると共に、女性の管理職を全体の３割程にする
・旭川市の責任者として管理職職員の中の誰よりも早く登庁する
・天下り禁止条例を制定する
・各種委員会の構成メンバーの半数を市民公募から決定する
・管理職職員の市民サービスに関する勉強会を毎週土曜日に行う
・ばんえい競馬を廃止して、施設等は中央競馬に引き継いで頂く
・寿バス、家庭ごみ有料化等についての再度の見直しを行う
・公会堂や買物公園と近郊のスキー場をリファインする
・春光台公園内のパークゴルフ場の造成を中止
・旭川駅高架事業の一部修正及び凍結

●教育と福祉の充実
・臨床心理士やカウンセラーが常駐する無料相談所を市内10ヶ所に設置
・学校司書を市内８９校全ての小･中学校に配属
・高齢者・障害者福祉にて改正された１割の自己負担金の半分を補助

●行財政改革の断行
・現在市役所内にある100を超える課・局を整理して60程にする
・嘱託・臨時職員の人数を1500人から2000人体制として、雇用を確保
・市職員を500人削減して2650人体制とし、毎年新卒職員を80人程採用
・職員の再雇用については、年270万円の給与から150万円に引き下げ
・在日の方々の参政権を認めると共に、職員として管理職採用する事も認める

●観光産業と中･小企業や起業家への支援
・旭山動物園をはじめ観光産業へ、年５億円ほど増額の支援
・中･小企業や起業家の方々へ、年10億円ほど増額の支援
・近隣８町との観光産業ネットワークグループを創設
・IT起業家養成講座を無料にて市内５ヶ所に開設
・買物公園の駅前から９条通り間に無料の電気バスを運行する

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         <pubDate>Fri, 23 Apr 2010 20:56:24 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>前原誠司君に対して小沢一郎さん　東海大学芸術工学部の学生の呼び方について</title>
         <description>前回、前原誠司国土交通大臣が小沢一郎民主党幹事長に対して毅然とした態度で望んだことに、好感が持てると書き込んだ。
その時のテレビの記者団に対するコメントで小沢議員の前原大臣に対しての呼び方が、「前原君」で、前原大臣の小沢議員に対しての呼び方が「小沢さん」だったのである。
一国の大臣に対して、役職を持っていない議員でもある小沢さんの呼び方が「前原君」では何か無礼な感じがして、武士道の精神にも反する思いだった。

年功序列社会になったのは、多分明治維新頃からだったのだろう。
今放送されているＮＨＫの大河ドラマの「龍馬伝」でも、下級武士や役職を持たない武士は幕府の官僚に対しても役職者である武士に対しても、「何々君」的な呼び方はご法度だったようだ。
それが民主的な考え方を欧米から取り入れることによって、今では年上の人が自身より地位が高い人に対しても、公の場で小沢議員のように平気で見下す呼び方をするようになってしまった。

その上、まだまだ実績や業績に関らず年功序列で給与が決められている日本社会に於いて、高給取りである年長者は若い管理職者に対しての呼び方に注意を払うべきではないだろうか。
国会議員は一律に給与が決まっていたとしても、公の場での呼び方に気をつけるべきだと思う。
私が15年程前から会社理念が気にいっている企業でもあるキーエンス（大阪）は、会社創設時から上司に対しても部下に対しても「何々さん」と呼んでいる。
キーエンスが今や日本を代表する企業になっているのは、私が説明するまでもない。

そんなこともあり私は１０年程前から、授業時の学生の呼び方について深く考えるようになった。
今の国会でもそうだが、議長は議員に対して「何々君」と呼んでおり、大学機関でも未だに男女の区別なく「君」と呼んでいる場合もあるだろう。
勤め始めた当初、男子学生に対しては「君」、女子学生に対しては「さん」と呼んでいたが、性同一性障害の方々も居ることを考えると、全ての受講生に対して「君」で呼ぶようにしていた時期もあった。

ここ５～６年前から、「君」で呼ぶのを止め「さん」と呼ぶようにしている。
今日の描写の授業では、事前に現在のこの国の状況を話した上で受講生の学生達に聞いた処、「何々さん」と呼ばれることに抵抗がなかったようなので、フルネームに「さん」とつけて呼ぶことにした。
本当は欧米のようにファーストネームで敬称をつけずに呼ぶことも、男子学生と女子学生の敬称を変えて呼ぶこともあって良いと思っている。

私自身も授業以外では、「カンちゃん」と学生からも目上の人からも呼ばれることが嬉しい時も多い。
ただ、授業の時はある意味勝負する時でもあると考えている。
師弟関係の緊張感の中で、受講生である学生達に大人としての自覚を持ってもらう為にも、同じ目線で対等に話ができる環境にしておきたい。

今は相手の立場になって、敬称をつけることが大切なのではないだろうか。
因みに卒業研究を私のところで履修している学生に対しては、苗字で敬称をつけずに呼んでいる。
それにも関らず、学生達は「神崎先生」と呼んでくれており、本当に感謝している。


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         <link>http://kanzaki-m.net/blog/2010/04/post_201.html</link>
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         <pubDate>Mon, 26 Apr 2010 22:30:03 +0900</pubDate>
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         <title>あさひかわ新聞の寄稿文　人と「もの」の関係について</title>
         <description>今回は1993年、私が３０歳の頃にあさひかわ新聞（当時は日刊）の「いまアトリエで」に寄稿した文章を載せたい。
当時、私は職員から教員（助手）になって間もない頃で、今のあさひかわ新聞の工藤稔社長も、まだ平社員の頃だったと記憶している。

　「”もの”を造る事が、地球環境を悪化させる要因になるのでは・・・」、最近こんなことを考えている。
　産業革命以後、急速に地球環境の悪化（公害）が叫ばれ、それは、現在も続いている。ものを造り出す過程で様々な環境破壊が生み出されているためだと考えられる。
　それでは、製品をリサイクル（ビール瓶などのリューズされるものは含まない）させれば、環境悪化の歯止めになるかというと、そうでもない。なぜなら、リサイクルするために多くの電気エネルギーを使い、有害物質を放出している場合も多々あるからである。
　作品を制作しないほうが、地球環境保全のためには良いのではないかという考えもある。しかし、作品を創ることは私にとってとても大切な行為であり、生活の重要な部分を占め、生きていることの本質的な部分となっている。
　今、このようなことを考えながら廃材や鉄筋を素材として、人とものとの良き関係を表現し、作品として発表している。

もう１７年も前に、今考えていることと同じようなことを書いていることに対して、喜びを感じると共に、進歩の無さも感じている。
今になって多少書き換える部分があるとすると、
＞作品を創ることは私にとってとても大切な行為であり、生活の重要な部分を占め、生きていることの本質的な部分となっている。
「作品を創ることは私にとって生き甲斐であり、人間としての証しでもあると同時に、自分以外の人々と結びつく手段でもある。」
の様になるかも知れない。

今後、書き込む内容として東海大学の現代文明論で織田憲嗣教授が話された「芸術と人生」についてや、私が考えている｢芸術とデザイン」や「芸術と工学」について取り上げたい。
また、斉藤牧場の斉藤晶さんが書かれた「いのちの輝き感じるかい」や斉藤牧場内でギャラリーと学校を運営されている松本キミ子（キミ子方式の生みの親）先生の書かれた「絵のかけない子は私の教師」
や「誰でも描けるキミ子方式」についても書き込みたい。

最近、買物公園内(6条8丁目）で魅力的なギャラリーを見つけた。
最近オープンしたようなのだが、展示してある作品は結構売約済みになっており、２階では画学校も開かれており、子供達の笑い声が響いていた。
このシュタイナー教育を実践してるような空間は、アッコモンストアとヤマトストアと言うので、興味のある方々は是非ともご鑑賞いただきたい。


</description>
         <link>http://kanzaki-m.net/blog/2010/05/post_202.html</link>
         <guid>http://kanzaki-m.net/blog/2010/05/post_202.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">★神崎実のブログ★</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 04 May 2010 22:34:05 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>あさひかわ新聞の寄稿文　人と「もの」の関係について２</title>
         <description>今回は1993年、私が３０歳の頃にあさひかわ新聞（当時は日刊）の「いまアトリエで」に寄稿した文章を載せたい。
当時、私は職員から教員（助手）になって間もない頃で、今のあさひかわ新聞の工藤稔社長も、まだ平社員の頃だったと記憶している。

　「”もの”を造る事が、地球環境を悪化させる要因になるのでは・・・」、最近こんなことを考えている。
　産業革命以後、急速に地球環境の悪化（公害）が叫ばれ、それは、現在も続いている。ものを造り出す過程で様々な環境破壊が生み出されているためだと考えられる。
　それでは、製品をリサイクル（ビール瓶などのリューズされるものは含まない）させれば、環境悪化の歯止めになるかというと、そうでもない。なぜなら、リサイクルするために多くの電気エネルギーを使い、有害物質を放出している場合も多々あるからである。
　作品を制作しないほうが、地球環境保全のためには良いのではないかという考えもある。しかし、作品を創ることは私にとってとても大切な行為であり、生活の重要な部分を占め、生きていることの本質的な部分となっている。
　今、このようなことを考えながら廃材や鉄筋を素材として、人とものとの良き関係を表現し、作品として発表している。

もう１７年も前に、今考えていることと同じようなことを書いていることに対して、喜びを感じると共に、進歩の無さも感じている。
今になって多少書き換える部分があるとすると、
＞作品を創ることは私にとってとても大切な行為であり、生活の重要な部分を占め、生きていることの本質的な部分となっている。
「作品を創ることは私にとって生き甲斐であり、人間としての証しでもあると同時に、自分以外の人々と結びつく手段でもある。」
の様になるかも知れない。

今後、書き込む内容として東海大学の現代文明論で織田憲嗣教授が話された「芸術と人生」についてや、私が考えている｢芸術とデザイン」や「芸術と工学」について取り上げたい。
また、斉藤牧場の斉藤晶さんが書かれた「いのちの輝き感じるかい」や斉藤牧場内でギャラリーと学校を運営されている松本キミ子（キミ子方式の生みの親）先生の書かれた「絵のかけない子は私の教師」
や「誰でも描けるキミ子方式」についても書き込みたい。

最近、買物公園内(6条8丁目）で魅力的なギャラリーを見つけた。
最近オープンしたようなのだが、展示してある作品は結構売約済みになっており、２階では画学校も開かれており、子供達の笑い声が響いていた。
このシュタイナー教育を実践してるような空間は、アッコモンストアとヤマトストアと言うので、興味のある方々は是非ともご鑑賞いただきたい。

追記　5月８日
最近見た映画の中に、アマルフィと云うタイトルのものがあったのだが、とても興味深い内容で魅力的な映画だった。
また、先だって行なわれた旭川ウェルビーイング・コンソーシアムの企画にて、バリー・カーズイン氏の講演会がとても魅力的な内容だったので、今後、書き込みたいと思っている。
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         <link>http://kanzaki-m.net/blog/2010/05/post_203.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">★神崎実のブログ★</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 08 May 2010 17:53:14 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>現代文明論「芸術と人生｣織田憲嗣教授の講義と「芸術と工学」</title>
         <description><![CDATA[今回のブログは、織田憲嗣教授が東海大学の現代文明論の授業で話された内容と、それに関係する「芸術と工学」について書き込みたい。
尚、現代文明論の授業は東海大学の教育の柱となるもので、「何の為に専門教育を学ぶのか？」について理系・文系関係無に、リベラルアーツ教育的内容も含めて学ぶものである。
因みに、リベラルアーツと云う英単語が明治維新以前に日本に入ってきて、藝術と云う言葉がこの国で生れたと伝えられている。

織田先生が書かれた講義概要の一部を抜粋する。

「芸術（アート）」は、よく「デザイン」と比較されることがあります。両者はよく似た側面を持ちながらも全く違った面を有しており、その違いを認識しておくことが大切です。
「アート」は様々な制約を受けることなく、作家が自らの感性に基づいて、その作家性を自由に発揮し、作品を発表します。そのため、中には作家の意図とは違った形での解釈も生れます。
また、誰にも理解できない作品であっても、作家が納得すればその作品は成立するのも「アート」ならではでしょう。
また一方の「デザイン」は私達の生活とは深く関っており必要不可欠なものでしょう。「アート」と｢デザイン」を分けて捉えることは難しい程、両者は重複した面を多く持つようになりました。
･･･・・・・・・･･･････････････････････････････････････････････････・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私達の生活においてアート作品を考えてみると、その作品は無くてはならない生活必需品ではありませんが、それがあることで、空間や生活に潤いをもたせてくれるものでしょう。そして、それを制作した作家との時間・空間を共有することもできるでしょう。アート作品には<無用の用>とでも言える機能があるのかも知れません。

以上が今回の現代文明論の講義内容だった。
織田先生から十数年前に話を伺った時には、芸術（アート）は自己満足で許され社会にとって必要不可欠ではないが、デザインは自己満足では許されず社会にとって必要不可欠であると言われていたと記憶している。
今回、「アート作品には<無用の用>とでも言える機能があるのかも知れません。」と言われてることに対して、十数年前の話と少し違い、社会に於いてのアートの必要性を感じた。

そもそもアートもデザインも社会に於いて、必要不可欠だと以前より私は考えている。
また、両者共に自己満足でも、自己満足でなくても成立すると考えている。
私の理想は明治維新以前の江戸時代のような、芸術もデザインも分離した考え方を持たない社会であ
る。

そのことは工学にも言えると考えている。
「藝術」、｢デザイン」、「工学」は、人類が地球環境の中で生きていくために、とても大切なものと考えている。
これらの分野に優劣をつけることなどするべきではなく、再度一つのものとして捉えることも必要であろう。
現状に於いては、これら３つの分野をバランス良く学び、取り入れることによって、文化・文明もバランスの取れたものになると思っている。

5月11日　補足
「藝術」分野に関る人々は、如何なる状況の場合でも客観的に捉えた中で、主体的に表現しなければならないと考えている。
また、自身と違う価値観を表現する他者に対して、聴く耳を持たなくてはならないとも考えている。
当然のことだが、「工学」、「デザイン」に関る人々にとっても、同じことだと考えている。
]]></description>
         <link>http://kanzaki-m.net/blog/2010/05/post_204.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">★神崎実のブログ★</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 10 May 2010 19:21:03 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>現代文明論「藝術と人生」織田憲嗣教授の講義と「藝術と工学」２</title>
         <description><![CDATA[今回のブログは、織田憲嗣教授が東海大学の現代文明論の授業で話された内容と、それに関係する「芸術と工学」について書き込みたい。
尚、現代文明論の授業は東海大学の教育の柱となるもので、「何の為に専門教育を学ぶのか？」について理系・文系関係無に、リベラルアーツ教育的内容も含めて学ぶものである。
因みに、リベラルアーツと云う英単語が明治維新以前に日本に入ってきて、藝術と云う言葉がこの国で生れたと伝えられている。

織田先生が書かれた講義概要の一部を抜粋する。

「芸術（アート）」は、よく「デザイン」と比較されることがあります。両者はよく似た側面を持ちながらも全く違った面を有しており、その違いを認識しておくことが大切です。
「アート」は様々な制約を受けることなく、作家が自らの感性に基づいて、その作家性を自由に発揮し、作品を発表します。そのため、中には作家の意図とは違った形での解釈も生れます。
また、誰にも理解できない作品であっても、作家が納得すればその作品は成立するのも「アート」ならではでしょう。
また一方の「デザイン」は私達の生活とは深く関っており必要不可欠なものでしょう。「アート」と｢デザイン」を分けて捉えることは難しい程、両者は重複した面を多く持つようになりました。
･･･・・・・・・･･･････････････････････････････････････････････････・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私達の生活においてアート作品を考えてみると、その作品は無くてはならない生活必需品ではありませんが、それがあることで、空間や生活に潤いをもたせてくれるものでしょう。そして、それを制作した作家との時間・空間を共有することもできるでしょう。アート作品には<無用の用>とでも言える機能があるのかも知れません。

以上が今回の現代文明論の講義内容だった。
織田先生から十数年前に話を伺った時には、芸術（アート）は自己満足で許され社会にとって必要不可欠ではないが、デザインは自己満足では許されず社会にとって必要不可欠であると言われていたと記憶している。
今回、「アート作品には<無用の用>とでも言える機能があるのかも知れません。」と言われてることに対して、十数年前の話と少し違い、社会に於いてのアートの必要性を感じた。

そもそもアートもデザインも社会に於いて、必要不可欠だと以前より私は考えている。
また、両者共に自己満足でも、自己満足でなくても成立すると考えている。
私の理想は明治維新以前の江戸時代のような、芸術もデザインも分離した考え方を持たない社会であ
る。

そのことは工学にも言えると考えている。
「藝術」、｢デザイン」、「工学」は、人類が地球環境の中で生きていくために、とても大切なものと考えている。
これらの分野に優劣をつけることなどするべきではなく、再度一つのものとして捉えることも必要であろう。
現状に於いては、これら３つの分野をバランス良く学び、取り入れることによって、文化・文明もバランスの取れたものになると思っている。

5月11日　補足
「藝術」分野に関る人々は、如何なる状況の場合でも客観的に捉えた中で、主体的に表現しなければならないと考えている。
また、自身と違う価値観を表現する他者に対して、聴く耳を持たなくてはならないとも考えている。
当然のことだが、「工学」、「デザイン」に関る人々にとっても、同じことだと考えている。
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         <link>http://kanzaki-m.net/blog/2010/05/post_205.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">★神崎実のブログ★</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 11 May 2010 20:02:41 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>統一地方選挙</title>
         <description>統一地方選挙の前半が終わり、次にこの街では市議会議員選挙が行なわれる。
この街の財政状況を考えると、選挙にはなるべく公費を使わないで頂きたい、特にポスター製作に必要以上の公費が使われるのは残念である。
最近は４００～５００枚のポスターを１０万円以内で印刷してくれる業者もあることを念頭に、公費を使って欲しい。
念のため前回の選挙の時の各候補者のポスターの製作費を、掲示したい。

藤沢弘光　　506,400　(株)ﾉｰｻﾞﾝ　　　　 430枚印刷　30枚分領収書なし
小松　晃　　420,000　あさひ印刷(有)　  500枚印刷　100枚分領収書なし
中川明雄　　506,400　旭川ｱｰﾄﾌﾟﾛｾｽ     450枚印刷　50枚分領収書なし
岩崎正則　　504,000　前田印刷(株)      ポスター代金記載なし、未払い
佐々木邦男　462,000　未確認　　　　　 ポスター代金記載なし
蝦名信幸　　506,400　未確認　　　　　 ポスター代金記載なし
安口　了　　506,400　(有)成瀬印刷      支出記入に問題あり

三井幸雄　504,000(株)あいわﾌﾟﾘﾝﾄ　　    太田元美　　336,000あさひ印刷(有)
松家哲宏　506,400(株)ﾄﾞﾙｯｸ　　　　　    能登谷繁　　336,000あさひ印刷(有)
笠木　薫　506,400(株)須田製版           佐々木卓也　336,000あさひ印刷(有)
高橋　徹　506,400(株)ｱｰﾄﾌﾟﾛｾｽ
高見一典　506,400(株)ｱｰﾄﾌﾟﾛｾｽ            安住太伸　　350,000(株)みらいﾌﾟﾘﾝﾃｨｸﾞ
塩尻伸司　506,400(株)小川印刷           金谷美奈子　504,000未確認
白鳥秀樹　504,000(株)あいわﾌﾟﾘﾝﾄ        上村有司　　504,000(有)成瀬印刷

安田佳正　453,200ﾜﾝﾄﾞﾘｰﾑﾋﾟｸﾁｬｰｽﾞ       村岡篤子　　506,400(株)あいわﾌﾟﾘﾝﾄ
三上　章　434,000(株)ｱﾄﾞｽ･ｴｰｼﾞｪﾝｼｰ      久保厚子　　504,000第一印刷(株)
園田洋司　420,000東洋ｵﾌｾｯﾄ(株)         山城えり子　506,400(株)一風舎
谷口大朗　506,400(株)みらいﾌﾟﾘﾝﾃｨﾝｸﾞ
鎌田　勲　500,000(株)須田製版           松田卓也　　506,400三興舎印刷所
泉　守　　506,400(株)須田製版           今富美徳　　252,000植平印刷
宮本　儔　501,900(株)ﾄﾞﾙｯｸ              鶴飼重男　　151,200ﾎﾟｽﾀｰ予算？
杉山允孝　394,800(株)ﾗｯﾂ･994
福居秀雄　506,400(株)みらいﾌﾟﾘﾝﾃｨﾝｸﾞ
中島哲夫　327,600植平印刷
武田勇美　504,000(株)ｱﾄﾞｽ･ｴｰｼﾞｪﾝｼｰ
石崎勝久　492,000ｱｰﾄﾌﾟﾛｾｽ
須藤洋史　168,000手持品

室井安雄　502,000(株)ｴｲﾍﾟｯｸｽﾃｰﾃﾞｨｰ
中村徳幸　504,000(株)ｴｲﾍﾟｯｸｽﾃｰﾃﾞｨｰ
鷲塚紀子　504,600(有)嶋澤印刷
門間節子　120,750中村印刷
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         <link>http://kanzaki-m.net/blog/2011/04/post_206.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">★神崎実のブログ★</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 11 Apr 2011 12:58:20 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>岡本太郎</title>
         <description>東京の国立近代美術館でおこなわれいてた、岡本太郎展を鑑賞して来た。
最終日だったこともあるが、老若男女の多くが来場しており、入場制限されてる状況を見た時に、あらためて岡本太郎の人気ぶりを見せつけられた。
彼は作品に対して「うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない。」
と述べており、これは手先の巧みさは芸術の本質と関係がないことを言っている。
このことが、芸術に直接関ってない人々を引きつける彼の魅力だったのではないだろうか？
多くの人々が彼の自由奔放な生き方に魅了され、多くの人々が芸術が特別なものでなく日常生活の身近なものだと考えるようになったのだと考えられる。
それは彼の職業が、画家、彫刻家、陶芸家、書家、写真家、著述家と幅広く活動してた処からも窺い知れる。
私としては、私の勤めてる芸術工学部の理念とも共通するものを、感じざるを得ない。</description>
         <link>http://kanzaki-m.net/blog/2011/05/post_207.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">★神崎実のブログ★</category>
        
        
         <pubDate>Fri, 13 May 2011 11:33:22 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>家庭菜園</title>
         <description>最近の体調は、外気温も上がり春らしくなったこともあってか、まあまあ良くなっている。
気温の変化で少し風邪気味ではあるが、少し意欲が湧いて来てもいる。

ところで最近、週末になると妻の手伝いで家庭菜園をやっている。
小型だが耕運機も昨年購入して、今年も大活躍である。
畑は自宅の裏に少しと、近所の農家の方から借りているまあまあの広さのところである。

旭川に初めて来て驚いたことは、冬場の除雪の凄さと家庭菜園をやってる方々の多さであった。
家庭菜園だけで自宅の食糧を全て賄うことは無いにしても、安心安全な野菜を新鮮な状態で食べることができる。
それだけ市民意識の中での、食に関する関心が高いものだとも考えられる。
食糧危機になったとしても、旭川市民は生き延びていけるかも知れない。

我が家では妻が苗から育てて植える野菜も増えており、年々本格化している。
私はその畑仕事を手伝っているだけだが、野菜の成長にわくわくしている自分がいる。
心と体の両面から考えたら家庭菜園は、生きがいに繋がるものかも知れない。


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         <link>http://kanzaki-m.net/blog/2012/05/post_208.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">★神崎実のブログ★</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 22 May 2012 13:35:54 +0900</pubDate>
      </item>
      
   </channel>
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